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俳句575No3「切れ字って何」

「奥の細道」より切れ字「や」のある句

 

行春や鳥啼魚の目は泪

             季語   春

             切れ字  や

 

暫時は滝に籠るや夏の初

             季語   夏

             切れ字  や

 

風流の初やおくの田植うた 

             季語   田植

             切れ字  や

 

世の人の見付ぬ花や軒の栗

             季語   栗の花

             切れ字  や

 

早苗とる手もとや昔しのぶ摺

             季語   早苗

             切れ字  や

 

松島や鶴に身をかれほとゝぎす・・・・・曾良

             季語   ほとゝぎす

             切れ字  や

 

夏草や兵どもが夢の跡

             季語   夏草

             切れ字  や

  

五月雨の降のこしてや光堂

             季語   五月雨

             切れ字  や

 

閑さや岩にしみ入蝉の声

             季語   蝉の声

             切れ字  や

有難や雪をかほらす南谷

             季語   雪(ゆきかほるで夏か?)

             切れ字  や

 

涼しさやほの三か月の羽黒山

             季語   涼し

             切れ字 

 

あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ

             季語   夕すゞみ

             切れ字  や

 

象潟きさかたや雨に西施がねぶの花

             季語   ねぶの花

             切れ字  や

 

汐越や鶴はぎぬれて海涼し

             季語   涼し

             切れ字  や

 

象潟や料理何くふ神祭・・・・・・・・・曾良

             季語   祭

             切れ字  や

 

蜑あまの家やや戸板を敷て夕涼・・・・・・・・低耳(みのの国の商人)

             季語   夕涼

             切れ字  や

 

波こえぬ契ありてやみさごの巣・・・・・曾良

             季語   (みさごの巣で夏か?)

             切れ字  や

 

文月や六日も常の夜には似ず

             季語   文月

             切れ字  や

 

荒海や佐渡によこたふ天河

             季語   天河

             切れ字  や

 

わせの香や分入右は有磯海

             季語   わせ

             切れ字  や

 

秋涼し手毎にむけや瓜茄子

             季語   秋涼し

             切れ字  や

 

しほらしき名や小松吹萩すゝき

             季語   萩すゝき

             切れ字  や

 

山中や菊はたおらぬ湯の匂

             季語   菊

             切れ字  や

 

今日よりや書付消さん笠の露

             季語   露

             切れ字  や

 

終宵よもすがら秋風聞やうらの山

             季語   秋風

             切れ字  や

 

庭掃きて出ばや寺に散柳

             季語   散柳

             切れ字  や

 

名月や北国ほくこく日和びより定なき

             季語   名月

             切れ字  や

 

寂しさや須磨にかちたる浜の秋

             季語   浜の秋

             切れ字  や

 

浪の間や小貝にまじる萩の塵

             季語   萩の塵

             切れ字  や

 

「奥の細道」にある句の内の「切れ字」について

切れ字「や」の数が二十九句もある。

切れ字が無いと思われる十三句。

切れ字「けり」はほとんど無いと思われる。

切れ字「かな」は八句。

 

 

俳句575第三回「切れ字って何」「や」について

 

今回は切れ字「や」のある句を抜粋してみました。

 

上五の「や」・・・二十句

中七の「や」・・・九句(句またがりを含む)

下五の「や」・・・なし

 

芭蕉は「奥の細道」の中で切れ字としての「や」を数多く使っています。これは、「他に代表的な切れ字と言われる「かな」「けり」に比べて、どんな場合にでも使える助詞であるためではないかと思われます。

 

そして芭蕉は、殆ど大半が上五に使用しています。これは、韻文の持つ言葉の調べの美しさを強烈に印象付ける感嘆の助詞であるために効果的なので、上五に多く用いているのです

 

その他にも「中七」「まったく下五」と「や」は、他の切れ字よりも自由自在に、どのフレーズの切れにも用いられています。そこが切れ字「や」の特徴です。けれども、ここで切れ字の本意を忘れて、575のフレーズのリズムの調べだけで安易に「や」を乱用することは危険です。句の575の調べが意味の切れを伴い、切れ字の役割を果たしているかどうかが問題だからです。短い十七文字のなかで、意味のない助詞を乱用しては勿体ないですね。

 

ところが「かな」はどうでしょうか。芭蕉は「かな」は最後の止めに使っています。これは「かな」が終止を表す終助詞であるためです。このフレーズで意味が終るということです。まさしく切れ字なのです。

 

そのためでしょうか、芭蕉は「や」を最後の下五の切れ字としては一度も使用していません。やはり最後には「かな」を使う方がまとめ易いのです。

 

そして、芭蕉が嫌い「奥の細道」にはひとつも出てこない「けり」は、過去を表す助詞なので、句意が定まらないからでしょう。まったく使われていない訳です。

 

芭蕉は旅の俳人と言われていて、「奥の細道」の紀行文のなかに俳句が詠み込まれていますから、その土地土地のその旅での句を詠むのに「けり」は適さなかったに違いありません。

 

このように現代でもよく作句のコツとして「や」「かな」「けり」は、切れ字の代表とされていますが、どうやら「奥の細道」を見ても※「去来抄」に残されているように、芭蕉は切れ字には、あまりこだわっていなかったようです。それでは逆に、多く重複しているかと言うと「奥の細道」から見ても、幾つもの切れ字を重複させたりした乱用はしていません。一句の中に幾つもの切れ字がある句はあまりないのです。

 

ここで注意しておきたいことに、切れ字がもたらす575の韻文のリズムからは、短い一句が、二つの意味に別れる特徴が生まれます。短い十七文字十七音で、句意を上手く表すために、切れ字は切れのある句とほぼ同じような句の形態を表すものとなります。

 

俳句は3つの言葉のフレーズで出来ていますが、意味が物切れで何を言いたいのかが解らない句はあまり良しとしません。短くてもやはり句が何を意味しているのか何を言いたいのかが解る方が良いのです。

 

解りやすく言えば、「あおりんご 熟したりんご ミニりんご」と言った単なる言葉の羅列では俳句とは言い難いということです。

 

現代でも実作の現場では、あまりこだわらずに名詞止めや動詞の活用のしかたなど、さまざに、それぞれの句をまとめています。

 

やはり切れ字というよりも俳句の575の言葉の切れが美しい調べを整えていて、意味の分かる句にまとめられているかどうかが肝心なのです。

 

※『去来抄』より「先師曰く、切字に用る時は四十八字皆切字なり。用ざる時は一字も切字なしとなり。」とあって、芭蕉は切れ字の形式的な分類を否定しています。

 

また、正岡子規の『俳諧大要』第五修学第一期より「一、初めより切字、四季の題目、仮名遣等を質問する人あり。万事を知るは善けれど知りたりとて俳句を能くし得べきにあらず。文法しらぬ人が上手な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し。俳句は殊に言語、文法、切字、仮名遣など一切なき者と心得て可なり。しかし知りたき人は漸次に知り置くべし。」とあります。

 

つまり、俳句においては、決まり事はあって無いようなもので、初めから拘らずに自由に詠むことが良いと正岡子規も、ここでは芭蕉と同じように述べています。

 

 

第三回を終えて

 

 今回は「や」に焦点を当ててみました。芭蕉はこの「や」を一番多く切れ字として使っています。やはり語調の美しさが際立ち、意味が解りやすく、感動が伝わり易いからでしょう。

 

 そして、作句のコツとしては、芭蕉や子規が述べているように、やはり拘り過ぎても短い俳句になかなかまとまらないので、自由に詠むことを進めています。

 

 日本語の調べを生かして十七文字十七音に自由な作者の言葉を綴ることが大切ですね。